Q.E.D 3

「みんな、おはよう。 うぅん? というよりこんばんは、かなぁ」
 メグは、眠そうに少し開いたドアの隙間から顔を出し、研究室の中の研究員達に声をかけた。

 その中の一人が、資料を打ち込んでいた端末から目を上げると 「あ、教授。 やっとおきてこられましたか。 この大変な時によくもねていられますね」 いきおいよく座っていた机から立ち上がり、ずんずんと歩くと、憤慨した様子で腰に手を当てて、メグの前に立った。

「メギリア教授のおかげで、外界との連絡がまったくとれないじゃないですか」 手を握り締め、高ぶった気持ちを抑えながら、声を荒げる。

「いやぁ、たしかにそうなんだけど、あんまり今回の事件には関係してないのよぉ? 私は」 目の前にいる自分より背の高い研究員を押しのけると自分の雑然とした研究机にゆったりと向かった。その様子を見ていた他の研究員たちは何か言いたげだったが、あきらめたように息を各々で吐くと、また机に向き直った。

 メグの前に立ちはだかった男性研究員はやっぱりだめかとひとりごちたあと、とぼとぼと自分の机に帰っていった。そして、研究の成果は飛びぬけて優秀なのにどうしてこんなに人格が未完成なのだろう、と小さく呟いた。

 さて、机に向かったメグだったが、目下、実験を行うにも電力の不足が大きな障害となっていた。

 この施設の太陽光パネルだけじゃ、研究機器の機能を最低限維持するぐらいしかエネルギーを生み出すしかできない。なにがあったかは分からないが、送電網のあちこちにおおきな穴ができてしまっているようだった。この状態を改善しようとしても、その送電網を今治すことはできそうもないことを百も承知だった。やはり、研究はストップせざるを得なかった。

 なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。はて、一体なにが原因なのだろうと、自分の顔の高さで切りそろえた髪を手で弄びながら考え始めた。そのとき、また遠くで地響きが起きた。前に感じていたものより、また一層、音は大きくなったような気がした。

 研究を再開させたい。気持ちがあせり始める。自分の考えをみんなに見てもらうことはうれしいことだし、自分がやっと認められたんだと思える幸せな時間だったから、それをまた味わいたいと思っている。だから、それを邪魔しているこの現状には、我慢できない。

「でも、工学とかその類は全くダメだからなぁ」
 深くため息をついたメグは、退屈そうに周りに目をやった。整理されているとは言いがたいこの研究室には、総勢数十万人は超えるであろう研究員たちの中から選抜してきた優秀な、しかし、時に面倒くさい仲間たちが10人つめていた。

 昼夜を問わず研究できる環境は確かにありがたいのだけれど、なんといっても暑い。いや、気温は空調で調節されているから言葉どおり暑いというわけではなく、例えるなら情熱。そう、なんともいえない熱気、殺気が漂っているのだ。だから、この部屋はあまり好きじゃない。苦手なのだこういう場が。

 あまり人と接したくないし、一人で研究したほうが早い気がしないでもない。だけれど、そうすると新しい人材が育たないとかなんとかで許されないから困ったものだ。結局は、手足として使うしかない。そうしなければ育たない。育てるというのはそういうことだ。そう思い込むことでいままでやってきた。なんだか屈折した性格。嫌なやつだ。

 ペンを走らせて落書を始めた。野原をかけるなんだかよく判らない生き物をすいすいと書く。実験を終らせないと何もできない。休暇をとることも、おいしいものを食べることも、ゆったり眠りに落ちることもできない。

 落書の乗ったレポート用紙をくしゃ、くしゃと丸めてゴミ箱に放り投げた。そして、目をこすりながら目の前の机にいるショートカットの研究員に話しかける。「技術部からの連絡はぁ?」

 いままでこちらを見向きもしないで作業をしていた研究員はこちらの方をちらりとみると不満げに言った。
「それが、全く連絡がないんですよ。 他の研究室に触れ回っても全然わからないそうです。 通信網もなんだかぼろぼろみたいで」
「うーやっぱりだめかなぁ。 絶対あのチェレンコじーのせいに違いないんだけどぉ」
 なんの確証もなく、同僚の名前をあげるメグを「そんなこといっちゃだめですよ。 確かに前に一回やりましたけど」と声を潜めながらたしなめる。

 むっとしたメグは、わかったわよぉ、ほら研究にもどって、っとひらひらと手をふって研究員を研究に戻らせた。にしても、なんでこんなに情報が伝わらないんだろう?

 機械に頼りすぎていたかなぁ。ここまで、施設間の距離が離れていると、ヒトの声は全くとどかず、誤った情報がごっちゃごちゃになって、ちょっとしたことで大混乱してしまう。

食料とかその類は十分にあったからその混乱も、昨日には収束したけれど、ここは比較的ヒトが少ない施設だったからまだ、簡単に片付いたに違いなく、中心部は、もっと酷いことになっているに違いない。

 

 とりあえず、今やるべきことをいまやるだけ。そうしなければ、時間がもったいない。ヒトに残されている時間は案外少ないものだから。

 そして、机に向かったメグは、次の瞬間顔をあげて、また目の前の研究員に話しかける。あきらかに眉間が険しくなった研究員に問う。
「ねぇ。 培養槽のほうはうまくいってるのよね」
 質問を受けたあと、目の前の端末に数行のキーを打ち込んだ後、その状態を確認し、返答する。
 「大丈夫です。実験体に大きな影響は出ていないようです」
 そのとき、また遠くで体に響く重低音がうなる。
 「こんな音で胎教されたらどうかはわかりませんが」

 確かにこの音は気になる。影響はあの完璧な培養槽の前ではすべて遮断されるだろう。だけれど、なにかが伝わらないという確証はない。いまだ科学が及ばないところで何かが動いているかもしれない。

 急に心配になったメギリアは、椅子からゆっくりと立ちあがると、半自動となっているドアをおしあけ、
自分の”子ども”をそだてている培養槽へと向かった。

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